1. ネットの噂と現実の境界線
インターネット上の掲示板や、一部の弁護士事務所のWEBサイトないし広告の中には、「今すぐ示談をしなければ、すぐに刑事告訴されて逮捕される」という趣旨の記載があり、トレント利用者の不安を過剰に煽る記述が散見されます。
しかし、「ネット上の過激な噂」と「実務上の現実」には明確な境界線が存在します。
当法律事務所では、これまで2,500件(2026年6月時点)を超えるトレント(アダルトビデオ)利用に伴う開示請求のご相談をお受けし、対応にあたってきました。
その膨大な対応実績の中で、権利者側から告訴をされるなどし、警察がこれを受理した結果、捜索差押などの刑事手続きに発展したケースは2026年5月まではまったくのゼロ件でした。
ただし、残念ながら2026年6月に1件、刑事事件となり、捜索差押に至った事案が生じました。
とはいえ、これを数字で見ると0.04%にとどまります。
では、ネットで煽られている「すぐに示談しないと刑事事件になる」という噂が事実に反するのはどうしてでしょうか?
この点、刑事告訴が容易でない理由としては、著作権侵害で刑事上の責任を問うためには、システム上の「過失(不注意)」ではなく、「公衆送信(送信可能化)を行っている」という故意が厳格に要求されることにあります。
すなわち、トレントは「ダウンロードの裏側で自動的にアップロードが開始される」という特殊な仕組み(プロトコル)であるため、仕組みを十分に理解せずに利用していた一般ユーザーに対し、犯罪を構成する「故意」を捜査機関が立証して逮捕に踏み切ることは、実務上極めてハードルが高いという現実があるのです。
その結果、刑事告訴にも、警察による捜査にも大きなハードルがあるのです。
言い換えると、ファイル共有ソフトの利用による刑事責任は、こうした高いハードルを越えた場合に限られるのです。
2. 警察の捜査の優先順位
さらに、警察の捜査リソースは有限であり、日本全国に何十万人と存在するトレント利用者の全員を摘発することは物理的に不可能です。
特に、ファイル共有ソフトの末端の利用者に対して、貴重な警察のリソースを割くことには自ずと限界が生じます。
ましてや、トレントの仕組みを十分に理解せず動画をダウンロードし、後にすぐに削除するなどした程度の利用者にわざわざ刑事責任の追及のために警察の有限の資源を割くことが妥当とは思われません。
こうした事情から、トレントのアダルト利用に関して警察が動くのは、いわば「悪質性が極めて高いケースの狙い撃ち(一般予防、一罰百戒としての見せしめ)」の場合になることが通常といえます。
具体的には警察が強制捜査(家宅捜索や逮捕)に乗り出す、あるいは書類送検を行う悪質なケースは、典型的には以下の特徴を持つ特定の利用者の場合が多いといえます。
ただし、これもケースにはよるので、あくまで以下の特徴を持つ利用者の場合には告訴が受理され、警察による捜査が行われやすいというだけであり、それ以外の場合には一切、告訴が受理されないとか捜査の対象とならないという意味ではありませんのでご注意ください。
| 捜査の対象 | 悪質なケース |
|---|---|
| ●一次放流者(イニシャル・シーダー) | 発売前の作品や、有料配信が始まったばかりの動画ファイルを、最初にトレントのネットワーク上に流した人物。 自らコンテンツを調達して意図的にアップロードを開始しているため、「侵害の故意」の立証が非常に容易であり、かつ権利者に与える実害が甚大であるため、最も狙われやすい性質を持っています。 |
| ●商業的・営利目的の利用 | 違法共有を通じて広告収入を得る、あるいは海賊版を販売するなど、ビジネスとして利益を得ていた場合。 |
| ●大規模・継続的な大量アップロード | 何百本、何千本もの有償著作物を、警告を無視して長期間にわたり共有し続け、ネットワーク上に放置したようなケース。 |
3. AV制作会社は金銭的な回収を目的としている
アダルトビデオの制作会社が発信者情報開示請求を行う最大の目的は、多大な時間と警察への協力負担がかかる刑事罰を科すことではなく、侵害行為者から適正な損害賠償金を回収すること、すなわち「民事上の金銭的解決」にあります。
実際に、権利者側の約6割の窓口となっている「ITJ法律事務所」は、「本件は直ちに刑事事件となるものではありません。著作権者はまず事実確認を行い、民事的な円満解決を目的としています。ただし、誠実な対応をいただけない場合には、刑事告訴を検討する可能性があります。」との通知を送ってきていました。
このことからも明らかなように、権利者側はまず民事での示談解決を最優先に位置づけており、最初から好んで刑事事件に持ち込もうとしているわけではありません。
したがって、通知書が届いたからといって直ちに警察沙汰になるわけではなく、過度に怯える必要はないのです。
4. 刑事告訴の確率
通常の私的ダウンロードに伴う自動アップロードを行っていた一般ユーザーが、刑事告訴される確率は極めて低いと言えます。
しかし、過去にファイル共有ソフトを利用した違法アップロードにより、警察が動き、書類送検や逮捕に至った事例が存在するのも事実です。
| 違法アップロード(年) | 逮捕に至った事例 |
|---|---|
| ●音楽ファイルの違法アップロード(2013年) | JASRACの刑事告訴により、トレントクライアントソフト「μTorrent」を使用して音楽ファイルを違法に公開していた男性5名(大学生、高校生、アルバイトら)が送致・逮捕されました。 |
| ●漫画ファイルの違法アップロード(2016年) | 講談社の刑事告訴により、「BitTorrent」を通じて人気漫画を権利者に無断でアップロード・送信可能状態にしていた30代男性が書類送検されました。 |
| ●qBittorrentを利用した違法公開(2024年) | ファイル共有ソフト「qBittorrent」を用いて著作物をインターネット上に公開していた埼玉県在住の50代男性に対し、宇都宮東警察署が書類送検、さいたま地検・越谷区検を経て、越谷簡易裁判所が著作権法違反で罰金30万円の略式命令を下しました。 |
これらの事例は、権利者(管理団体や大手出版社)が刑事摘発による社会的抑止効果を強く求め、告訴に踏み切ったものです。
ここで注意すべき法律上の論点として、「著作権法第123条2項(非親告罪化)」があります。
市販のアダルトビデオのように「有償で提供されている著作物(有償著作物)」を、対価を得る目的や利益を害する目的をもって、原作のまま自動公衆送信(送信可能化)を行う行為は、告訴がなくても起訴できる非親告罪に該当すると解釈される余地があります。非親告罪と判断された場合、犯人を知った日から「6か月」という告訴期間の制限は適用されず、公訴時効は「7年」となります。
しかし、このような解釈論があるとしても、実務において警察が「故意」の立証が極めて難しい一般の私的利用ダウンローダーに対し、非親告罪を根拠に自発的に捜査を展開するケースは極めて稀です。
当事務所が扱うAV開示請求案件では、一般の利用者が刑事事件化された確率は0.04%です。
